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美日联合声明内容(美日联合声明具体内容)

阿立指南 生活指南 2022-12-23 06:12:18 251 0

2014年美日联合声明全文

日米共同声明:アジア太平洋及びこれを越えた地域の未来を形作る日本と米国

平成26年4月25日

日本と米国との间の関系は,相互の信頼,ルールに基づく国际的な秩序への共通のビジョン,民主的な価値の支持及び开かれた市场の促进に対する共有されたコミットメント,并びに深い文化的及び人的な绊の上に筑かれている。日米同盟は,地域の平和と安全の础であり,グローバルな协力の基盤である。国际协调主义に基づく「积极的平和主义」という日本の政策と米国のアジア太平洋地域へのリバランスは,共に,平和で繁栄したアジア太平洋を确かなものにしていくために同盟が主导的な役割を果たすことに寄与する。

紧密な日米协力は,アジア及び世界における,长年にわたる又は顕在化しつつある胁威や课题を管理し,またこれに対処するに当たって不可欠なものである。最近の动きは,地域及びグローバルなルールと规范を支えるための调整された行动の重要性を强调している。3月25日のハーグにおける三か国首脳会谈において,日本,米国及び韩国の首脳は,北朝鲜に対し,核ミサイル问题に関する国际的な义务を果たすための,及び拉致问题を含む人道上の悬念に遅滞なく対応するための具体的な行动をとるよう求めた。日米両国は,G7のパートナーと协调し,クリミアを并合しようとするロシアの违法な试みについて同国を非难し,また,その遗憾な行为について同国に対する更なる措置を紧密に协议しているとともに,同国に対し,ウクライナにおける紧张を缓和するよう强く求めている。日米両国は,共に,ウクライナの主権,领土の一体性及び経済的な安定を支援するための具体的な措置を讲じている。日米両国は,イランの核问题を解决し,中东和平の取组を支持し,アフガニスタンの复兴に寄与し,化学兵器廃弃を含めてシリアの情势を改善するため,连携して取り组んでいる。日米両国は,これら全ての课题に対処するに当たって,中国は重要な役割を果たし得ることを认识し,中国との间で生产的かつ建设的な関系を筑くことへの両国の関心を再确认する。

日米両国は,开かれた海を依り所とするグローバルな贸易网を有する海洋国家として,航行及び上空飞行の自由を含む国际法の尊重に基づく海洋秩序を维持することの重要性を强调する。日米両国は,事前に调整することなく东シナ海における防空识别区の设定を表明するといった,东シナ海及び南シナ海において紧张を高めている最近の行动に対する强い悬念を共有する。日米両国は,威吓,强制又は力による领土又は海洋に関する権利を主张しようとするいかなる试みにも反対する。日米両国は,これらの紧张に対処するため,この地域における各国の政府及び军の间における信頼醸成措置の确立を强く促す。日米両国は,南シナ海について,関系国が自らの海洋における権利の主张の根拠を国际法に合致する形で明らかにするよう求める。また,不测の事态のリスクを削减する方法として実効的な行动规范(COC)の早期策定に向けた取组を支持する。日米両国は,南シナ海における海洋の纷争を解决するために国际的な仲裁を含む外交的及び法的な手段を用いることを完全に支持する。

日米両国は,両国が直面する共通の安全保障上の课题を踏まえ,日米防卫协力のための指针の见直しによることを含め,日米安全保障协议委员会の指示に従い,日米の安全保障同盟を强化し,现代化している。米国は,最新锐の军事アセットを日本に配备してきており,日米安全保障条约の下でのコミットメントを果たすために必要な全ての能力を提供している。これらのコミットメントは,尖阁诸岛を含め,日本の施政の下にある全ての领域に及ぶ。この文脉において,米国は,尖阁诸岛に対する日本の施政を损おうとするいかなる一方的な行动にも反対する。米国は,日米両国间の政策及びインテリジェンスに系る调整の强化を促进することとなる日本による国家安全保障会议の设置及び情报保全のための法的枠组みの策定を评価する。米国は,集団的自卫権の行使に関する事项について日本が検讨を行っていることを歓迎し,支持する。日米両国は,地域の安全を维持するための米国の拡大抑止の重要性を再确认した。日米両国はまた,グアムの戦略的な拠点としての発展を含む,地理的に分散し,运用面で抗堪性があり,政治的に持続可能な米军の态势をアジア太平洋地域において実现することに向け,継続的な前进を达成している。普天间飞行场のキャンプシュワブへの早期移设及び冲縄の基地の统合は,长期的に持続可能な米军のプレゼンスを确かなものとする。この文脉で,日米両国は,冲縄への米军の影响を軽减することに対するコミットメントを再确认する。

日米両国はまた,贸易自由化を前进させ,経済成长を促进するため,多国间の金融及び経済フォーラムにおいて紧密に连携する。両国の共同の取组は,自由で,开かれ,透明であり,技术革新を推进する国际的な経済システムを支持することに基づいている。経済成长を更に増进し,域内の贸易及び投资を拡大し,并びにルールに基づいた贸易システムを强化するため,日米両国は,高い水准で,野心的で,包括的な环太平洋パートナーシップ(TPP)协定を达成するために必要な大胆な措置をとることにコミットしている。本日,両国は,TPPに関する二国间の重要な课题について前进する道筋を特定した。これは,TPP交渉におけるキーマイルストンを画し,より幅広い交渉への新たなモメンタムをもたらたすことになる。両国は全てのTPP交渉参加国に対し,协定を妥结するために必要な措置をとるために可能な限り早期に行动するよう呼びかける。このような前进はあるものの,TPPの妥结にはまだなされるべき作业が残されている。日米両国はまた,日本の経済协力开発机构(OECD)加盟50周年の机会に,日本がOECD阁僚理事会议长国を务めることを支持するとともに,本年,中国がアジア太平洋経済协力(APEC)会合を主催すること及び豪州がG20を主催することを支持する。日米両国は,APEC及びG20において,両国にとって国内政策及び外交政策上の重要な优先事项である女性の役割の促进に共に取り组んでいる。日米両国は,平等な未来パートナーシップやホワイトハウスが主催するワーキングファミリーサミット及び日本が主催する女性のエンパワーメントに関する国际シンポジウムといった近く行われるイベントを通じて,女性の完全な社会参加を确保することにコミットしている。さらに,日米両国は,両国の连携によりロボット工学,宇宙,医疗科学といった最先端の领域が拡大されている先端技术の分野における世界のリーダーであり続ける。

日米両国は,エネルギー安全保障が繁栄と安定にとって死活的に重要であることを认识する。双方は,追加的なグローバルな供给は日本や他の戦略的パートナーの利益となることから,米国からの液化天然ガス(LNG)の输出の将来的な见通しを歓迎した。米国は,包括的,平和的かつ安全な原子力の利用及び再生可能エネルギーの导入の加速を含む日本の新しいエネルギー基本计画を歓迎した。日米両国は,企业间の协力の促进や民生用原子力の协力の深化によるものを含め,クリーンエネルギーの开発を促进するために共に取り组んでいる。これらの取组は,グローバルな気候変动という喫紧の课题に対処するためのより幅広い取组の一环である。日米両国は,国连気候変动枠组条约第19回缔约国会议(COP19)で采択された决定に基づき,2015年12月にパリで开催されるCOP21において,気候変动枠组条约の下で全ての缔约国に适用される议定书,法的文书又は法的効力を有する合意成果の采択を促进するため,自主的に决定する2020年以降の力强い约束を提示する计画である。日米両国は,温室効果ガス排出削减を促すための补足的なイニシアティブに関し,引き続き他国と共に取り组んでいく。

日米両国は,アフリカを含む世界の平和,安定及び経済成长を推进することにコミットしている。最近立ち上げられた高级実务者レベルの日米开発対话を通じ,日米両国は,これらの地域における开発协力を拡大している。さらに,日米両国は,その他のグローバルな课题に対処し,共通のアジェンダを推进するため,二国间の政策调整を継続している。これらには,女性のエンパワーメント,人间の安全保障,人道支援,防灾,ポスト2015年开発アジェンダ,国际保健,気候変动,テロ及び国际组织犯罪対策,サイバー政策,核兵器のない世界という目标,核セキュリティ,平和维持分野を含む国连における协力が含まれる。米国は,日本を常任理事国に含む形で国连安全保障理事会が改革されることを期待している。日米両国は,东日本大震灾の経験に基づき,防灾分野における协力を継続している。

日米両国は,地域の安全と繁栄にとっての东南アジア诸国连合(ASEAN)の一体性及び中心性の重要性を认识し,外交上,経済上及び安全保障上のASEANとの协力を深化することに対するコミットメントを新たにする。日米両国は,ASEAN诸国が地域的な経済共同体を构筑し,サイバーセキュリティ及びサイバー犯罪を含む国境を越える课题に対処しようとしている中で,ASEAN及び関连するフォーラムを支援するために紧密に连携している。この文脉において,日米両国は,东アジア首脳会议(EAS)がこの地域における政治及び安全保障面の主要なフォーラムであると认识している。日米両国は,地域のインフラ及び连结性の需要に対処するためのアジア开発银行(ADB)による取组を支持する。日米両国は,东南アジアの沿岸国が法执行,不正な取引及び武器の拡散との闘い并びに海洋资源保护をよりよく実施できるよう,海洋の安全及び海洋安全保障のための海洋监视及びその他の能力の构筑においてこれら诸国を支援するために连携している。フィリピンにおける台风30号(ハイヤン)の际の日米両国の军民の力强い対応は,灾害救援及び防灾においてこの地域を共同で支援する両国の能力を示した。

アジア太平洋及び世界における平和と経済的な繁栄を推进するという共有された目标を达成するため,日米両国は,韩国,豪州,インドを含む志を同じくするパートナーとの三か国间协力を强化している。

日米両国は,紧密な协力と连携を通じてアジア太平洋地域及びこれを越えた地域の未来を形作る上で,両国间の长年にわたって存在しかけがえのないパートナーシップを再确认する。 但愿你能看懂

美日联合声明内容(美日联合声明具体内容) 第1张

美国在日本放了2个原子弹日本人应该很仇视美国可是现在与美国同盟?

战后日美关系的演变

摘要:第二次世界大战后,日美两国结成特殊紧密的关系。随着国内外形势的变化以及日美两国力量的消长,日美关系多次调整,日美两国亦由敌对发展同盟。

日美关系是国际关系中最重要的双边关系之一。第二次世界大战结束后,通过战胜国对战败国的处理问题,日美结成了特殊的紧密关系。随着国内外形势的变化以及日美两国力量的消长,日美关系在内部多次调整,不但影响其各自国家的内外政策,同时也影响着亚太地区局势、世界范围内的国际关系以及中国对外战略的选择。尽管日美之间有合作也有竞争,但维持正常的双边关系一直是其对外政策的重要目标。日美两国一直在谋求亚太地区的主导权,因此研究日美关系的发展变化,对于探讨亚太地区国际关系、国际局势以及中国的对外政策具有重要意义。

一、占领与被占领的关系

第二次世界大战以法西斯集团战败而告终,日本成为战败国。美国以盟军的名义单独占领了日本全境。1945年8月12日,杜鲁门任命美国太平洋陆军司令麦克阿瑟为盟军最高司令官,君临日本。9月22日,美国政府发表《美国战后初期对日政策》。该文件写明:“占领军应由美国认命的最高统帅指挥”,“如果主要盟国之间发生意见分歧,美国政策应居主导地位”。“最高统帅将通过日本政府机构和制度(包括日本天皇在内)行使自己的权利”。[1]如是,美国便确立对占领的领导权和间接统治方式。

日本是美国争霸太平洋地区的宿敌,早在战争结束前美国既已决定借日本投降之机彻底削弱日本。《美国战后初期对日政策》明确“美国占领日本的最终目标是:(1)保证日本不再成为美国的威胁,不再成为世界安全与和平的威胁。(2)最终建立一个和平与负责任的政府,该政府尊重他国权利,并应支持联合国宪章的理想与原则中所显示的美国的目标。”[2]为了达到上述目标,占领初期,占领军当局采取了一系列打击和削弱日本的措施,实行非军事化、民主化改革:(一)解散军事机构;逮捕并审判战犯;整肃军国主义分子和右翼团体;禁止军事科学研究和军需生产;实行严格的赔偿计划。(二)颁布五大改革指令:赋予妇女参政权和妇女解放;保障工人的团结权和团体交涉权;废止具有压制性质的各种制度;教育自由化;经济民主化。(三)进行两次农地改革,改革长期以来成为日本军国主义、侵略主意基础,阻碍民主化的半封建土地制度。(四)解散作为侵略战争推动力量的财阀。(五)修改日本宪法。新宪法废除了天皇亲政的原则,天皇只作为国家的象征,宣布主权在民,确立基本人权,按照西方国家的模式建立日本政党制度。新宪法第九条规定:“永远放弃作为国家主权发动的战争、武力威胁或使用武力作为解决国际争端的手段”。“为达到前项目的,不保持陆海空军及其他战争力量,”“不承认国家交战权”。[3]

上述改革是具有战略性的措施,意在摧毁日本军国主义根源,消除军国主义影响;对建立和平民主的新日本是十分有必要的。遗憾的是,实施两年,上述改革还远未完成,美国政府却嘎然刹车,对日政策从惩治改造转为复兴扶植。

二战后,国际形势风云突变。苏联势力剧增,冷战开始;中国革命的胜利使美国将中国作为其稳定亚洲的中心的企图成为泡影,打乱了美国的亚洲战略;朝鲜、越南政权相继建立,亚洲民族独立运动风起云涌。针对这种形式,1948年1月,美国陆军部长罗亚尔在旧金山发表演说,提出“新的对日占领政策”,即“培育一个强有力的日本政府”,“要使日本在今后对付可能在远东发生的新的集权主义的威胁方面,充分起到强有力的、稳定的防波堤作用”。[4]简言之,美国改变其初期占领政策,开始扶植日本在亚洲执行其遏制中国和苏联的冷战政策。

美国对日本占领政策的转变,在实践上,早在1947年就开始了。 美国终止了对日本的改革进程,如陆续释放战犯,停止拆除工厂,承用被整肃的前官员等等。与此同时,占领军当局缓和了对日本的种种限制,放宽了对日本战争赔偿的要求,帮助日本复兴经济。美国为日本制定并强制执行《稳定经济九原则》和道奇路线,此举缓和了战后日本经济的混乱局面。朝鲜战争爆发后,美国把日本变成后方军需工厂,为其侵略战争服务。日本从战争中收益大量外汇,对其经济恢复和发展起到巨大作用。

二、从敌对到伙伴

旧金山媾和是美日关系演变的里程碑。

随着冷战加剧和亚洲革命浪潮的澎湃发展,美国政府希望日本尽早摆脱《波茨坦宣言》以及其他国际协定的约束,结束“盟国”的占领,以“和平独立”的成员回归国际社会,为其所谓亚洲及太平洋地区的安全与稳定发挥更大的作用;同时亦将美国完全控制日本的局面合法化、长期化。为此,美国政府早在947年即提出对日媾和设想,但军政界意见分歧;其媾和程序又遭苏联反对,对日媾和问题便搁置下来。

日本方面则与美国不同。当时,日本首相吉田茂的最大心愿就是能够在任期内同以美国为首的盟国缔结媾和和约,实现日本独立。这是吉田茂魂牵梦绕的抱负。就当时的情况看,日方比美方更急切。吉田茂采取了主动。

1950年2月,吉田首相派亲信池田勇人为媾和一事秘密访美,探听到了美国对媾和的真实想法。5月,吉田首相在池田藏相再次访美时即带信给美国:“日本政府希望在尽早时机缔结对日和约。并且鉴于美国方面不便提出和约缔结之后美国军队仍有必要驻扎日本,以保障日本及亚洲地区的安全这一希望,日本政府愿意研究一项由日方提出建议的方法。”[5]由是,日美双方在媾和问题上基本达成一致。1950年6月朝鲜战争爆发,促使美国加快了媾和的步伐。

1951年9月8日,在旧金山召开了对日媾和会议。52个国家(中国排除在外)参加,49个国家(不包括苏联)在《旧金山和约》上签字。次年4月和约生效。

美国总统杜鲁门致开幕词说:“当我们今天坐在这个和会的席上,为了今后在我们之间消除胜者与败者的区别,共同成为寻求和平的伙伴时,让我们抛弃一切恶意和憎恨吧!在我们之间,既无胜者,也无败者,只有为和平而互相协力的同伴。” [6]日本首相吉田茂也在会上发表演讲,他说:“在这里提出的合约,并没有惩罚性和报复性的条款,对我国国民并没有加以永久性限制。他使日本恢复了完全的主权与自由,使日本成为了自由、平等的国际社会一员。这个和约不是复仇的条约,而是‘和解与信任’的文献。日本全权代表欣然接受这个公平而宽大的合约。” [7]

和约总纲宣告:“各盟国及日本决定,他们此后之关系将是由主权的平等国家之间的关系,在友好的结合下进行合作。”条约规定:“日本与每一个盟国间之战争状态依照本条约第二十三条之规定,自日本与该国间所缔结之本条约生效时起,即告终止”。各盟国所有占领军,必须在和约生效后的九十天内撤出日本。“但本款规定并不妨碍外国武装部队依照或有一个或二个以上的盟国与日本业已缔结或将缔结之双边或多边协定,而在日本领土上驻扎或驻留。”“各盟国方面承认日本以一个主权国家资格并得以自愿加入集体安全协定。”和约规定:日本的冲绳岛等岛屿由“联合国托管,而以美国为唯一托管当局”,“美国将有权对此等岛屿之领土及居民行使一切行政、立法及司法权力”。[8]《旧金山和约》结束了盟国对日本的全面军事占领,盟国占领机构取消。日本被缔约国承认为独立国家。同时,和约亦为美国继续驻扎日本留有空间,这与托管条款使得日本的独立实际上是不完整的。和约以法律的形式确立了日美两国的关系,但两国间的具体合作,尚需另立条约。

在《旧金山和约》签字的同一天,日本以独立国家的身份与美国签订《日美安全条约》。这个条约主要是确立和约生效后日本和美国的军事关系和美军在日本的特权。对于日本和美国,其意义较之《旧金山和约》更为重大。条约总纲写道:“和约生效后,日本将无有效工具来行使它自卫的自然权利,因为它的武装已被解除。”“在这种情况下日本会遇到危险,……因此,日本希望与美国签订一个安全条约。”“日本希望美利坚合众国在日本国内及周围驻扎其武装部队,以防止对日本的武装进攻,作为日本防御的临时办法。”条约规定:日本向美国提供陆海空军基地,美国则“为了和平与安全的利益,日前愿意在日本国内和周围驻扎相当数量的武装部队”,“维持远东的国际和平与安全和日本免受外来雾转进攻之安全,包括根据日本政府的明显要求,为镇压由于一个或几个外国之煽动和干涉而在日本引起的大规模暴动和骚乱速给予的援助”。[9]1952年2月8日,日美两国签订《行政协定》,规定实施《日美安全条约》的细则。根据这个协定,美军可以在日本的任何地方设立军事基地;美军及其家属犯罪不由日本判处;日本要分担美军驻留日本的部分费用。《日美安全条约》毫无双边性可言,是一个不平等条约。如此一来,日本实际上处于美国的半占领之下。

《旧金山和约》的签订标志着日本从一个被占领的战败国演变为一个独立的主权国家,开始以独立的身份参加国际社会。《旧金山和约》、《日美安全条约》和《行政协定》三者构成日美关系的体制,即旧金山体制或安保体制。这一体制的建立,标志日美两国之间从敌对关系演变为附属伙伴关系,即主子与小伙计的关系。日美关系从此进入一个新阶段。安保体制被视为日美关系的基本框架,双方共同维持。但这个框架不是固定不变的,它不是历史发展的终点,只是一个过程。国际关系没有终点,永远是过程。

三、从伙伴到同盟

安保体制的确立,成为日本振兴经济,重返国际舞台的起点。1945年,日本的经济恢复工作已经完成,开始进入经济高速增长期。此前,日本已于1952年4月加入了关税及贸易总协定,开始步入国际经济舞台。吉田茂因为坚持从属美国的外交路线而垮台后,继任者鸠山一郎顺应时势,顺应民心,上台伊始便提出自主外交,表示愿意同苏联和新中国建立正常的外交和政治关系。1955年10月,日苏两国在莫斯科签署《日、苏联合宣言》。结束了两国的战争状态,恢复了外交关系。同年12月日本加入联合国,以独立、平等的身份回归国际社会。

随着经济实力的增强和国际地位的提高,日本朝野对《日美安全条约》的不满情绪逐渐增长。从1953年起,日本各界不断爆发反对美军基地、争取民族独立、和平和民主的各种斗争,1959年达到高潮。在群众运动的推动下,日本政界也要求改变安保体制下依附于美国的不平等地位,增加对美国的发言权,把单边性条约改为双边性条约,希望与美国对等。1955年8月鸠山内阁外相重光葵向美国国务卿杜勒斯提出修改《日美安全条约》,遭到美国拒绝。岸信介继任日本首相后,继续为修约而努力。日美经过一年零三个月的谈判,美国出于远东战略的需要,为了更好的利用日本,最终同意修约。1960年1月9日,日美两国在华盛顿签订《日美共同合作和安全条约》,代替旧的《日美安全条约》。修订后的条约具有如下新内容:(1)删除了驻日美军可以镇压日本内乱和不经美国同意日本不得将基地和基地有关权利等给予第三国的规定。(2)明确了美国对日本的防伪义务。(3)增加了日美两国“随时就本条约的执行问题进行协商”和加强“经济合作”的条款。规定条约有效期为10年。因此,新条约一方面扩大了日美两国的合作范围,加强了日美军事同盟,进一步明确了两国在政治、经济及安全保障方面的关系;一方面加强了日本的自主权《日美安全条约》,提高了日本与美国的对等性。日本政府在1960年度外交蓝皮书中宣称:“《日美安全条约》的修改说明日美关系已经进入新时代,即进入了双方作为真正对等的国家、建立自由的合作关系的时代。”[10]次年,池田首相同美国总统肯尼迪发表联合公报,宣布成立“日美贸易经济联合委员会”、“日美文化教育委员会”、“日美科学委员会”,以加强两国在科学、文化、教育方面的合作。美国总统首次称日本为美国的“平等伙伴”。

佐藤荣作出任日本首相后,积极着手解决战后日美关系中最为棘手的外交问题——小笠原、冲绳问题。他先后四次访美,与约翰逊和尼克松两任美国总统谈判。60年代末,美国出现衰退,经济再次出现严重滑坡;深陷越南战争泥沼难以自拔,国内反战情绪愈演愈烈;第三世界纷纷崛起;美国的全球战略日益暴露出战线过长、后方太远、兵力分散的弱点。美国不得不调整其全球战略,收缩战线,美国需要日本在亚洲的密切合作。与此同时,美国总统尼克松正视“日本在经济上是一个超级大国”,“今天出现了一个新日本”,[11]认为“到60年代中期,日本人开始强烈地感到我们继续管理冲绳不符合日本的国家尊严和主权。如果我们不加响应,就有在我们关系中引起危机的危险。”[12]于是,1969年11月,佐藤首相和尼克松总统就无限期延长新《日美安保条约》和美国把冲绳岛行政权归还日本达成协议,并决定新《日美安保条约》及其有关规定原封不动地适用于归还后的冲绳。1971年6月正式签署相关文件,1972年5月5日美国正式向日本移交冲绳岛的行政权。日本终于结束了在美国“半占领”下的“战后”时期。

60年代是日本经济的高速增长期,60年代末,日本已成为资本主义世界第二号“经济大国”。从1965年开始,日本对美国的入超逐年扩大,两国间不断发生贸易摩擦,“纺织战”、“钢铁战”等等此起彼伏。虽经双方多次努力仍无法改变这种局面。经济地位必然要求与其相称的政治地位。1983年,日本首相中曾根康宏明确提出政治大国的设想,而实现政治大国的基础是日美关系。日本政府强调“日美合作是日本外交的基础”,美国政府强调美日合作是美国太平洋政策的“基石”。1981年5月,日美联合声明首次肯定日美“同盟”。1983年1月中曾根提出“日美是命运的共同体”,表示日本“对维护日美同盟的认识,超出了仅仅改善两国关系的范围,而且要在经济、政治、外交等更为广阔的领域与美国进行更大的合作。”

纵观60—80年代,美国的全球战略曾有较大调整,日本的自主性不断增强,但日美关系并未发生重大变化,其间的调整与摩擦都属于安保体制内的演变过程。日美两国出于各自的战略发展需要,从从属伙伴演变为相互依存的同盟。1988年1月竹下登首相访美时表示两国应结成“全球性伙伴关系”,1989年8月海部俊树首相与布什总统一致宣称要加强日美“全球性伙伴关系”,共同处理国际事务。

四、冷战后的日美关系

苏联解体、东欧巨变,导致第二次世界大战后形成的国际政治格局发生根本性变化。美国为了实现其“一家独霸”的野心;日本为了实现其政治大国和军事强国的梦想,对安保体制进行了一系列调整。

美国在太平洋地区强化以美日同盟为核心的联盟体系。1996年4月克林顿总统访日,与桥本首相共同发表《日美安全保障联合宣言》,提出对日美同盟进行“再定义”。1997年9月日美签署《日美防卫合作指针》,确定了美日进行防卫合作的基本形式和内容。1999年4月和5月日本国会先后通过新指针的三个相关法案,即《周边事态法》、《自卫队法修正案》、和《日美相互提供物资和劳务协定修正案》。通过这一系列外交活动完成了对冷战后日美关系的调整。小布什上台后更加重视同日本的同盟关系,主张提高日本的国际地位,进一步发挥日本的作用,加强美日同盟,把日本作为亚洲和平、稳定、安全和繁荣的重要基石“。

冷战后的日美关系,在基本框架上仍没有脱离安保体制,但在内容和层次上对旧体制进行了调整:(1)安保体制作用的地理范围扩大,突破日本本土的界限正式扩展到整个亚太地区,用“周边地区”这种模糊概念划定了美日安全合作的广阔范围。(2)加大了军事合作的深度和广度。日美加强在军事技术领域的联合开发和在对后勤保障的相互支援。原来由美国保卫日本、日本借基地给美国的单项防卫体制逐渐向美日双向军事合作体制转变。(3)安保体制直接与联合国维和行动以及国际救援行动相联系。美国希望日本在联合国的维和和救援行动中承担更多的义务,推动了日本争取政治大国和军事强国的活动。美日联盟呈现加强趋势。

两次海湾战争和阿富汗战争及9.11事件,使美国政府争霸世界的心理达到狂乱的程度。美国要用北约控制欧洲,用竭力构筑的以日本为中心的亚太地区联盟控制整个亚洲。日本政府则急切地利用美国的全球战略达到政治大国和军事大国的目的。来自参考消息的报道称美国政府将在2004年总统大选前汇总一份美军全球规模的整编方案,“削减驻韩和驻欧美军兵力,同时将驻日美军作为推进亚太地区战略的据点,强化其司令部机能”。届时日本将由冷战时的“共产主义防波堤”变成美军“推进世界战略的据点”。[13]日美正计划走向“世界性同盟”。

注释:

[1]何春超主编《国际关系史(1945——1980)》法律出版社,1986年12月第二版,P.37-38.

[2]赵建民 刘予苇主编《日本通史》复旦大学出版社,1989年8月第一版,P.322.

[3]信夫请三郎《日本外交史》下册,商务印书馆,1980年版,P.731.

[4]魏楚雄《战后美国对日政策的演变》载《世界历史》1987年第5期,P.18.

[5]郑毅《铁腕首相吉田茂》世界知识出版社,2001年1月第1版,P.118.

[6]同⑤P.150.

[7]同⑤P.154.

[8]赫赤《日本政治概况》中国社会科学出版社,1984年8月第1版,P.365-367.

[9]同⑧P.379-380.

[10]转引自 张健《从“安保条约”的修改看日美关系的演变》载《日本研究》1996年第2期P.44.

[11][12]永野信利《日本外务省的研究》上海译文出版社,1979年版,P.302.

[13]《美军推进亚太地区战略 日美走向“世界性同盟”》载“参考消息”2004年8月9日.

参考书目:

1.何春超主编《国际关系史(1945——1980)》法律出版社,1986年12月第二版.

2.赵建民 刘予苇主编《日本通史》复旦大学出版社,1989年8月第一版.

3.信夫请三郎《日本外交史》下册,商务印书馆,1980年版.

4郑毅《铁腕首相吉田茂》世界知识出版社.

5.赫赤《日本政治概况》中国社会科学出版社,1984年8月第1版.

6.永野信利《日本外务省的研究》上海译文出版社,1979年版.

7.刘德斌主编《国际关系史》高等教育出版社,2003年3月第1版.

8.张蕴岭主编《伙伴还是对手》社会科学文献出版社,2001年1月第1版.

美日澳三国外长联合声明中给一中政策加括号标注,外交部是如何回应的?

2022年8月5日,美国国务卿,澳大利亚外长以及日本外相举行了三边战略对话,在此之后,三方发布了一个声明表示三个国家都支持一个中国政策,对于台湾的基本立场并没有发生改变,但是三个国家都在一个国家政策后面加了括号,并且标注了在适用的情况下。三个国家发布的声明明显是不具备诚意的,七国集团外长以及欧盟的最高代表也发布了相关声明,与三个国家所作出的表述是一样的。

2022年8月8日,汪文斌举行了记者会,记者对此作出了提问。汪文斌对此表示,国际社会的普遍共识便是一个中国原则,这是国际关系的基本准则,也是二战之后构成的基本国际秩序,同时有相关的文件确认,这也是中国与其他国家建立外交关系的一个政治基础。联合国秘书处发布的相关意见也表示台湾只是中国的一个省份,并没有独立地位,一些国家在一个中国原则后面加入一些后缀,目的是为了试图歪曲一个中国原则,这是无效的,同样也是非法的,中方对此表示坚定的反对。

汪文斌作出了坚定的反击,并且表示全世界只有一个中国,台湾作为中国的一部分是不可割舍的,中华人民共和国政府也只承认中国这一个合法政府。某些国家的做法是非常不值得认可的,是对一个中国原则的歪曲解读,本质上是在挑战中国的基本原则以及国际法的基本原则,同时也是在挑战二战之后的国际秩序。

汪文斌表示个别国家有必要去读一些史书,当年作出的承诺就要一直遵守下去,并不能够背信弃义。一些台独势力明目张胆的做法是极具危害性的,会遭到国际社会的坚决反对,一些不合法的要求并不会得逞。

《中美联合声明》的主要内容和时间大神们帮帮忙

中美三个联合公报指的是1972年2月28日签订的《中华人民共和国和美利坚合众国联合公报》(《上海公报》)、1979年1月1日签订的《中华人民共和国和美利坚合众国关于建立外交关系的联合公报》(《中美建交公报》)和1982年8月17日签订的《中华人民共和国和美利坚合众国联合公报》(《八一七公报》)。美国在三个联合公报中均强调坚持一个中国原则,这是中美两国关于两国关系以及我国台湾问题的重要历史文件。坚持一个中国政策和中美三个联合公报的原则是中美关系健康发展的政治基础。 1972年2月28日 应中华人民共和国总理周恩来的邀请,美利坚合众国总统理查德·尼克松自一九七二年二月二十一日至二月二十八日访问了中华人民共和国。 陪同总统的有尼克松夫人、美国国务卿威廉·罗杰斯、总统助理亨利·基辛格博士和其他美国官员。 尼克松总统于二月二十一日会见了中国共产党主席毛泽东。两位领导人就中美关系和国际事务认真、坦率地交换了意见。 访问中,尼克松总统和周恩来总理就美利坚合众国和中华人民共和国关系正常化以及双方关心的其他问题进行了广泛、认真和坦率的讨论。此外,国务卿威廉·罗杰斯和外交部长姬鹏飞也以同样精神进行了会谈。 尼克松总统及其一行访问了北京,参观了文化、工业和农业项目,还访问了杭州和上海,在那里继续同中国领导人进行讨论,并参观了类似的项目。 中华人民共和国和美利坚合众国领导人经过这么多年一直没有接触之后,理在有机会坦率地互相介绍彼此对各种问题的观点,对此,双方认为是有益的。他们回顾了经历着重大变化和巨大动荡的国际形势,阐明了各自的立场和态度。 中国方面声明: 哪里有压迫,哪里就有反抗。国家要独立,民族要解放,人民要革命,已成为不可抗拒的历史潮流。国家不分大小,应该一律平等,大国不应欺负小国,强国不应欺负弱国。中国决不做超级大国,并且反对任何霸权主义和强权政治。中国方面表示:坚决支持一切被压迫人民和被压迫民族争取自由、解放的斗争;各国人民有权按照自己的意愿,选择本国的社会制度,有权维护本国独立、主权和领土完整,反对外来侵略、干涉、控制和颠覆。一切外国军队都应撤回本国去。中国方面表示:坚决支持越南、老挝、柬埔寨三国人民为实现自己的目标所作的努力,坚决支持越南南方共和临时革命政府的七点建议以及在今年二月对其中两个关键问题的说明和印度支那人民最高级会议联合声明;坚决支持朝鲜民主主义人民共和国政府一九七一年四月十二日提出的朝鲜和平统一的八点方案和取消“联合国韩国统一复兴委员会”的主张;坚决反对日本军国主义的复活和对外扩张,坚决支持日本人民要求建立一个独立、民主、和平和中立的日本的愿望;坚决主张印度和巴基斯坦按照联合国关系印巴问题的决议,立即把自己的军队全部撤回到本国境内以及查谟和克什米尔停火线的各自一方,坚决支持巴基斯坦政府和人民维护独立、主权的斗争以及查谟和克什米尔人民争取自决权的斗争。 美国方面声明: 为了亚洲和世界的和平,需要对缓和当前的紧张局势和消除冲突的基本原因作出努力。美国将致力于建立公正而稳定的和平。这种和平是公正的,因为它满足各国人民和各国争取自由和进步的愿望。这种和平是稳定的,因为它消除外来侵略的危险。美国支持全世界各国人民在没有外来压力和干预的情况下取得个人自由和社会进步。美国相信,改善具有不同意识形态的国与国之间的联系,以便减少由于事故、错误估计或误会而引起的对峙的危险,有助于缓和紧张局势的努力。各国应该互相尊重并愿进行和平竞赛,让行动作出最后判断。任何国家都不应自称一贯正确,各国都要准备为了共同的利益重新检查自己的态度。美国强调:应该允许印度支那各国人民在不受外来干涉的情况下决定自己的命运;美国一贯的首要目标是谈判解决;越南共和国和美国在一九七二年一月二十七日提出的八点建议提供了实现这个目标的基础;在谈判得不到解决时,美国预计在符合印度支那每个国家自决这一目标的情况下从这个地区最终撤出所有美国军队。美国将保持其与大韩民国的密切联系和对它的支持;美国将支持大韩民国为谋求在朝鲜半岛缓和紧张局势和增加联系的努力。美国最高度地珍视同日本的友好关系,并将继续发展现存的紧密纽带。按照一九七一年十二月二十一日联合国安全理事会的决议,美国赞成印度和巴基斯坦之间的停火继续下去,并把全部军事力量撤至本国境内以及查谟和克什米尔停火线的各自一方;美国支持南亚各国人民和平地、不受军事威胁地建设自己的未来的权利,而不使这个地区成为大国竞争的目标。 中美两国的社会制度和对外政策有着本质的区别。但是,双方同意,各国不论社会制度如何,都应根据尊重各国主权和领土完整、不侵儿别国、不干涉别国内政、平等互利、和平共处的原则来处理国与国之间的关系。国际争端应在此基础上予以解决,而不诉诸武力和武力威胁。美国和中华人民共和国准备在他们的相互关系中实行这些原则。 考虑到国际关系的上述这些原则,双方声明: 中美两国关系走向正常化是符合所有国家的利益的; 双方都希望减少国际军事冲突的危险; 任何一方都不应该在亚洲-太平洋地区谋求霸权,每一方都反对任何其他国家或国家集团建立这种霸权的努力; 任何一方都不准备代表任何第三方进行谈判,也不准备同对方达成针对其他国家的协议或谅解。 双方都认为,任何大国与另一大国进行勾结反对其他国家,或者大国在世界上划分利益范围,那都是违背世界各国人民利益的。 双方回顾了中美两国之间长期存在的严重争端。中国方面重申自己的立场:台湾问题是阻碍中美两国关系正常化的关键问题;中华人民共和国政府是中国的唯一合法政府;台湾是中国的一个省,早已归还祖国;解放台湾是中国内政,别国无权干涉;全部美国武装力量和军事设施必须从台湾撤走。中国政府坚决反对任何旨在制造 "一中一台"、"一个中国、两个政府"、"两个中国"、"台湾独立"和鼓吹 "台湾地位未定"的活动。 美国方面声明:美国认识到,在台湾海峡两边的所有中国人都认为只有一个中国,台湾是中国的一部分。美国政府对这一立场不提出异议。 它重申它对由中国人自己和平解决台湾问题的关心。考虑到这一前景,它确认从台湾撤出全部美国武装力量和军事设施的最终目标。在此期间,它将随着这个地区紧张局势的缓和逐步减少它在台湾的武装力量和军事设施。 双方同意,扩大两国人民之间的了解是可取的。为此目的,他们就科学、技术、文化、体育和新闻等方面的具体领域进行了讨论,在这些领域中进行人民之间的联系和交流将会是互相有利的。双方各自承诺对进一步发展这种联系和交流提供便利。 双方把双边贸易看作是另一个可以带来互利的领域,并一致认为平等互利的经济关系是符合两国人民的利益的。他们同意为逐步发展两国间的贸易提供便利。 双方同意,他们将通过不同渠道保持接触,包括不定期地派遣美国高级代表前来北京,就促进两国关系正常化进行具体磋商并继续就共同关心的问题交换意见。 双方希望,这次访问的成果将为两国关系开辟新的前景。双方相信,两国关系正常化不仅符合中美两国人民的利益,而且会对缓和亚洲及世界紧张局势作出贡献。 尼克松总统、尼克松夫人及美方一行对中华人民共和国政府和人民给予他们有礼貌的款待,表示感谢。

美国亚太再平衡战略对我国有什么影响

 亚太再平衡战略对中国的挑战

毋庸讳言,美国亚太战略的调整对中国形成了重大外部压力,具体体现在以下几个方面。

一是美国对华军事压力增大。2012年1月5日,奥巴马政府公布了名为《保持美国在全球的领先优势:21世纪国防的优先事项》的新版美国国防战略评估指南,其核心内容是“削减军费”“重点投入”“战略转型”与“保持优势”。这份新军事战略指南中曾3次提到中国,认为“从长远来看,中国在亚太的崛起给美国经济和安全等许多方面产生了潜在的影响”,并且指出中国的军事发展对美国安全构成了挑战。因而,新军事战略报告中明确将中国列为美国军事上的一个重要挑战者。美国在亚太地区的高强度军事布局显然反映出美国对中国军事防范力度的增强,这必然给中国造成较大军事压力以及增加了与美国发生军事冲突的风险系数。需要注意的是,美国正在寻求打造亚太地区联盟战略的升级版,即加强美澳日三边合作。2014年8月13日,美国国务卿克里在夏威夷东西方中心发表关于美国亚太政策的演讲中就表示,美国与澳大利亚“同意扩大我们同日本的三边合作,这将让我们能在应对更加广泛的一系列安全挑战的过程中进一步使美日同盟关系现代化”。

二是中国的周边环境更加复杂。近期,部分与中国存有领土、领海争议的邻国借美国实施“亚太再平衡”战略之机向中国发难,影响到中国周边的安全和秩序。其中,中日钓鱼岛问题,中国与越南、菲律宾等国的南海问题升级,其背后都可见到美国的身影。2014年4月21日,奥巴马总统在访问日本之前接受《读卖新闻》专访时明确表示,他“赞赏安倍首相加强日本防卫力量和深化我们两国军事合作的努力,包括修改目前行使集体自卫权的禁令”。25日,白宫网站上发布的《美国和日本:塑造亚太及其他地区未来》的美日联合声明中,美国的这一立场再次得到了确认与强调。

三是中国在亚太地区的影响力受到挑战。近年来,中国通过参加亚太地区的各种机制建设,如东盟10+ 3、中日韩首脑峰会、中国—东盟自贸区、东亚峰会等合作机制,提升了中国在地区制度建设中的影响力。但是,美国实施“亚太再平衡”战略的目的之一便是恢复其在亚太地区的制度塑造力,从而对中国在该地区的影响力构成挑战。2009年7月,美国签署了《东南亚友好合作条约》,11月举行了首届美国—东盟峰会。2011年11月19日第六届东亚峰会召开,美国作为正式成员国首次参加这次会议。时任美国国务卿的希拉里表示,奥巴马总统“将成为出席东亚峰会的第一位美国总统”。奥巴马政府的第二任期同样关注在东南亚地区的外交介入,并重申对该地区机制的支持。2014年8月,美澳两国外长与防长在举行“2+2”会议期间共同撰文表示:“我们与东盟(ASEAN)密切努力,倡导新型合作、坦诚对话以及针对一系列挑战的务实协作,如海上安全和坚定国际准则的不扩散努力,以及确保所有各方的公平竞争。东亚峰会作为这一地区的首要领导论坛,对确定这一地区的战略远景具有关键作用。”

与此同时,中国对于周边国家的影响力也受到了重大影响。实际上,中国已经感受到了这种压力。仅以中美缅关系为例。自2010年底缅甸政治转型之后,尤其是在吴登盛政府执政以后,中国在缅投资遭遇一系列挫折。中缅关系迎来了新的挑战,自此进入一个微妙的调整期。这与缅甸政府外交政策“向西看”有很大关联,也与以美国为首的西方国家加大对缅外交施压与利诱有关。近几年内,美缅关系迅速解冻、升温,并日益成为奥巴马政府“亚太再平衡”战略的重要成就与支撑力量。2011年11月30日,希拉里访问缅甸,这是50多年来美国国务卿首次访问缅甸。2012年5月,美国决定向缅甸派驻大使,恢复与缅甸的大使级外交关系。2012年11月19日,奥巴马总统与希拉里国务卿一道访问缅甸。2013年5月中旬,缅甸总统吴登盛访问美国,成为自1966年以来首位访美的缅甸领导人。2014年8月9日,美国国务卿克里率团对缅甸展开正式访问,其间出席第21届东盟地区论坛外,还与缅甸总统吴登盛、反对派领袖昂山素季等举行了会面。克里表示,缅甸在过去的这些年里“取得了显著的进步”,奥巴马政府将继续与缅甸政府“携手鼓励政治和司法改革”。

四是中国将面临更为严峻的意识形态挑战。奥巴马政府在首份《国家安全战略》报告中,明确提出“价值观利益”是美国的一项持久利益,而其重点区域之一便是亚太地区。2014年7月10日,美国国务卿克里与财长雅各布·卢在参加第六轮中美战略与经济对话后的记者会上表示,中美两国之间在价值观与意识形态方面存在着分歧,“美国将继续捍卫我们的价值观念,倡导普世人权以及所有人都应享有的自由。这些权利和自由对稳定与繁荣极其重要”。可见,美国对华进行价值观渗透的可能性明显增加。

中美联合声明说明了什么有哪些积极意义

APEC会议之后,中美两国领导人就气候变化问题发表了联合声明。这个联合声明的主要内容是宣布了两国各自2020年后应对气候变化的行动目标。我们认为,这个联合声明是中美两国双赢的联合声明,内容也表明了两国既开展政策对话,又开展务实合作,是中美新型大国关系的新亮点。而且,在利马会议之前,中美两国作为最大的发展中国家和最大的发达国家,也是二氧化碳和温室气体排放最大的两个国家,能够在利马会议之前宣布各自的行动目标,也表明要支持利马会议有积极的进展,并推动巴黎会议达成协议,联合声明也表明这个协议要坚持共同但有区别的责任原则,各国要根据各国的国情采取行动,作出各自的贡献。这也向多边进程发出了一个非常明显的信号,就是两国在推动多边进程,为谈判注入了正能量,应该说,对这个联合声明我们给予非常积极的评价。

在声明当中,两国宣布了各自的行动目标。美国到2025年,在2005年的基础上要减排26%-28%,争取减排28%。中国计划2030年左右二氧化碳排放达到峰值,且将努力早日达峰,到2030年非化石能源占一次能源消费的比重提高到20%左右。应该说,我们两国宣布了各自的目标,根据华沙会议的决定,各个国家应在明年一季度宣布各自的贡献,也就是行动目标。所以中美两个最大的排放国提前宣布了行动目标,也表明我们对推动多边进程的态度。而且,我们各自的目标是根据各自的国情作出的决定。大家可能会注意到,美国的目标实际上是在2005年的基础上总量要减26-28%,中国是到2030年左右出现峰值,在2030年之前我们还是相对减排的模式,也体现了发达国家和发展中国家发展阶段的不同,在减排问题上体现了区别。同时也体现了如要真正解决这个问题,一是要转变发展方式,要推动转型升级;二是要发展新能源,发展清洁能源,这非常重要,也表明了未来的发展方向,也是两国为应对气候变化做出的贡献。

再有,在中美气候变化工作组的框架下,已经有七个优先的合作领域,联合声明这次又确定了一系列新的合作领域,并明确了具体的合作项目,要实实在在地做示范,要取得成效。这些合作项目、合作领域,都是跟应对气候变化直接相关的,都是与减排有关系的,在这一点上,也表明了两国在共同应对气候变化方面的决心和信心,应该说这个联合声明是双赢的,是两国合作的一个亮点,也对多边进程起到很大的推动作用。

从我国来讲,确定这样一个目标之后,实际上是自己给自己建立了一个倒逼机制,促进国内发展方式转变和结构调整、转型升级,提高经济增长的质量和效益。所以在这一点上也表明了中国统筹国际国内两个大局,最后能够找到既应对气候变化又发展经济、改善民生、保护环境的共赢道路,这就是绿色、低碳、循环发展的道路。所以我觉得,联合声明无论是对国际还是国内,都有很重要的积极推动作用和促进作用。

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